先生のアトリエ

大学時代の先輩方から、恩師である泉茂先生が亡くなられ、今年、18年目にして先生のアトリエを閉じるとの連絡を、以前より頂いていた。僕は、「泉ゼミ」には属していないので、ここに恩師と書く事も憚られるのですが、先週の日曜日、「泉茂アトリエを閉じる会」に、参加させて頂いた。お声を掛けていただいた理由は、学生当時、先生の展覧会を積極的に開いていた番画廊で、週末アルバイトをさせていただいていたことと、卒業後、大学で副手をしていて、大学近くの住宅地にある先生のアトリエによく出入りさせて頂いていたからだと思う。画集の為の作品撮影や、大阪市立大学の壁画プランの制作、キャンバスを張ったり、先生のお客さんが来られる際の準備などもした。食事やお酒もご一緒させて頂いて、いろいろなお話も伺った。楽しかった。昔、とにかく何にでも楯突いていた僕が、先生の周りに居るときは、非常に大人しくしていた様に思う。その後僕は、三年間の大学副手の仕事を終え、彫刻の田村務先生の手伝いをする事になり、泉アトリエに伺う事は無くなった。先生が入院されたのは、それからすぐのことだった。

「閉じる会」は、先生のアトリエに残された作品を、ゼミOBを中心とした関係者で持ち合おうという趣旨で、有志の方々の二年もの丁寧な準備のもと、連休の二日間を使って行われた。僕は準備には全く参加しておらず、ご案内を頂いた際も気が引けたけれども、会の二日目に伺った。(気が引けたという割に、打ち上げにも参加。)多くの作品は、既に美術館に収蔵されているものの、サインが無いままの版画作品や、テストプリント、保存状態が良くなかった為に多少の破損がある作品などが、「お持ち帰り」できる状態に並べられていた。それだけでも大変な点数だった。台風の雨、蒸し暑いアトリエで、キビキビと梱包作業をしている先輩方の間を、当時にも見せて頂いた作品を拝見して歩きながら、「多くに愛された先生だから、こんな風に最後の作品までお世話してもらえるけれども、そーゆーふーでない作家は一体どうなるのか。」というのが、僕の最初の印象だった。浮かんだ思いに自分で苦笑しながら、昔の楽しかった時間を思い出し、また、ここにいる人それぞれが、先生との思い出を反芻しているのだろうと思った。

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