CASO 2010
「あたらしい言葉」2010年3月30日-4月11日 | |
近頃、立体感や遠近感、色彩などの錯視の仕組みがテレビなどでも取り上げられています。それらは私たちの「見る」という行為が、人の脳の機能に支えられている事を教えてくれます。ゆえに現在においても完全に解明されない部分が存在し、不安定で偏った認識をもたらす可能性があることを、驚きと、ちょっとせつなく残念な思いとを織り交ぜながら理解させてくれます。 残念な思いとは、私たちが同じものを見ながらも、共通の認識を持つことが如何に不可能かをそれらが物語るからです。例えば、春にスケッチを学び始めたばかりの学生達が、同じものを見て描いたとは思えないほどバラバラな絵を描くのは、彼らの目には本当にその様に見えているからです。そして逆に、夏になる頃までに彼らは遠近法という驚きの(?)ものの見方を獲得することで、皆同じ絵を描こうと努力しはじめるのです。この両極の行為のどちらもが私達の「見る」ということの正体であり我々の視覚認識の外堀です。私達の眼は、個人的な経験の外にも、文化的、歴史的な背景の外にも付いていないという事のひとつの証しです。 絵を描くという事は「見る」ということの不安定さ、不自由さを知った後、それを笑いながらすり抜ける様なあたらしいことばを発見することだと思います。 「あたらしい言葉」–気づかなかった感覚に名を与える様に描くこと。 今は「風景、景色、見る、眺める」をテーマにした油彩を制作しています。 |
海岸通ギャラリー・CASO:http://www.caso-gallery.jp/