尾崎信一郎「立嶋滋樹個展」1990

尾崎信一郎氏
美術手帳91年2月Reviews

1990年11月12日~17日
ギャラリー白 個展

先月の展評で絵画の新たな方向を示唆する発表として山口高志の作品を論じたが、同様の意識に連なる発表として立嶋滋樹について触れたい。他者との類似や対比によって論及されることは作家が望むことではないかもしれないが、一つの兆候として指摘しておく。立嶋の場合、作品はすべてディプティクによって構成されている。これまでも立嶋が画面を二分割して相似した形態を並置してきたことを想起するならば、ディプティク自体はきわめて自然に導入されたと考えられるが、これまで画面相互が類似性によって律されていたのに対して、今回の発表ではむしろ差異性が強調されている。そしてその差異とは山口同様、マティエールとイメージの対比に帰着する。厚塗りされた絵具に対し、刻まれるイメージはこれまで立嶋が用いてきた有機的なそれから大きく変化し、きわめて単純な形態、ダイヤ型か駆使されている。注意深く眺めるならば、絵具の表層に刻まれた大きなダイヤ型の背後に塗り込められた無数のダイヤ型が整然と画面を分割していることが認められる。しかしこのダイヤ型は画面の形態から演繹された形態でない点も瞭然としており、ここでも画面の唯一の構成要素であるダイヤ型に必然性は宿っていない。形態の恣意性とともに特徴的な点はマティエールの質感の強調とその操作の巧妙さである。絵画の物質性はこれまでフォーマリズム絵画を閉ざす罠として捉えられてきた。しかし若い作家たちは再びマティエールに積極的な意味を見出そうとしている。かつて私は絵画の表面について論じた一文の中で、絵画を絵具というメディウムの操作のみで深めることはもはやかなわないと断じたことがある。しかし絵画とはメディウムの操作にほかならないとするならば、イメージとの新たな関係を取り結ぶマティエールの中に絵画の新たな可能性がかいま見えるかもしれない。私自身が考えさせられる発表が続いた。

@