2009-11-05

制作の元になるものが「庭興即事」懐紙と決まったところで、僕も大久保先生に習って「歩いて」みることにしました。(いや、現地までは車と電車で。。)実は展覧会が決まってすぐに、伊賀上野へは出掛けていました。大阪から実家へ帰る際にはいつも名阪国道で上野の街の郊外を通ってはいますが、街を歩いてみるのは小学校の遠足以来。その日は平日で人出もなく、忍者も働いてなさそうでした。お城にのぼり、また街に降りて芭蕉の生家まで歩き、お城の下に留めた車まで戻って日が暮れる前に街を離れました。柿衞文庫から頂いた資料や読んだ本の知識が、ただ頭の中を流れているだけで、目に残ったものといえば、苔むした石のきれいな緑、お城から覗いたすぐ傍の学校の廊下ではしゃぐ女子高生。いわゆる確信などとは遠い、ほんの日常の小さな旅です。でも多分こんな感じでいいんだろうと思っていました。年が明けて、懐紙の書かれた場所である美濃の本龍寺と垂井の街、東京深川の芭蕉庵跡と出掛けました。芭蕉庵が、隅田川と小名木川の合流地点のほんとに水に近い所だったことには驚きましたが、やはり、発見や感動からは逃げる様に歩いていました。感触だけを蓄えようと。

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