仕組みを理解しないのに無反省、工夫すらしない人達の、声高々な悩み無き悩みを聞かされた後は、気分を立て直す為にお買い物に行きましょう!。一生分のお買い物へ。

二十四、五歳の頃、なぜかふと「このまま絵を描いてても餓死はしなくていけるんじゃないか。」と、根拠もなく思ったことがあってから、「一生分のお買い物」っていう考え方が僕の中に芽生えた。それは、絵を描いていれば暮らしていけるっていうことでは勿論なくて、知らない街に出てきた並の小僧が、周りの人の助けによって勘違いの突っ掛けを履かせてもらって思っただけの、幸福な希望だったのだけれど、「もう死ぬまで、これは買わなくていい。」という価値観だけは残った。人生の半分か、三分の一かの年齢の時に「その、つもりで物を見る」というアイデアを得たということ。僕を温かく見守って助け船を出していてくれた人達の期待に添う反応ではなかったのかも知れないけれど、人生の半分か、三分の二かの年齢になった今でも、そのつもり、で見ることは僕にとって大切なことだし、多分、そのせいでシンプルでいられる。

 もう、それはそれは本当にぐったりした気分で梅田から地下鉄に乗り、上本町の仕事場に向かったのだけれど、このままガレージに着いても何も出来ないだろうと思って、心斎橋で降りた。漠然とした面持ちだったと思うけれど、「よし、今日こそは一生分買おう」という思いが肋骨の下辺りにうっすらあって、それが僕をカワチに向かわせた。

いろいろと使って来たなかで、これは一生分を買い置きするに値する出来であることは確認済み。更にそろそろ廃盤の予感がしていて、僕のメモには「見つけたら数買い。」と書いてある。

4年くらい使っているけど、不快感や違和感は皆無。そんな物はなかなか無い。勿論今使っている物もまだまだ何年も使えそう。けれど、何年か後に手元に無いのは困るのである。気にはしていて、画材店や文房具屋でチェックしているけれど見つからない。近辺で残るは、心斎橋カワチだけだ。

また長いな。 ブログ。 寝ようかな。

寝ます。 また明日でも続きを。

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