お運びいただきました方々、ありがとうございました。
最終日一日前に展示会場と同じギャラリー棟のミュージアムホールでシンポジウムがありました。関西の美術館の学芸員の方々にお願いして本展についてお話いただく機会となりました。パネラーとしてご参加いただいた方は、平井章一さん(国立新美術館)、池上司さん(西宮市大谷記念美術館)、井須圭太郎さん(芦屋市立美術博物館)、坂本牧子さん(兵庫陶芸美術館)、コーディネーターとして、菅谷富夫さん(大阪市立近代美術館)です。
ご参加いただきました五名の皆様ありがとうございました。シンポジウムは、無審査、無テーマ、多人数、一作家一点のみ等、いわゆるアンデパンダン形式に近い本展の様な発表の仕方は、作家にとってどんな意義があるのか。という問いを、逆にパネラーの池上さんから積極的に頂いてスタートしました。
この件に関しては、出品作家120名120様ではあると思いますが、僕も毎回考えることなので、ここで書けるだけ書いてみようと思います。不真面目ではないのですが、ゆる~としか書けませんので、その点はご容赦ください。
先ず、発表の形として個展という形式が作家に、或いは作品にとって最良ではないかという考え方は、僕も同じです。他の作品が並ぶグループ展では少なからず「一人の作家の感覚に浸る」こととは別の価値観が鑑賞に入り込んでくることは避けられないと思います。スポーツで言えば、リーグ戦とトーナメント戦の違いに似ているかも知れません。グループ展では、より短期の間に即効性を持って見えてくる要素が優先、強調される様に思います。また、個展は言わばイングランドプレミアリーグやイタリアセリエアーの様に、最も良い条件のみを集めて最高のサッカーを目指す形式。グループ展はワールドカップ。アフリカ地域のサッカーと日本の目指すサッカー、もちろんオランダ、ブラジル、それぞれが同じスポーツとは言えないような様々なサッカーをルールの下でぶつけ合う。比較して、サッカーの最先端はどこにあるかと言えば、もちろんクラブチーム同士のリーグ戦にあるでしょう。対してワールドカップは、サッカー普及の役割を担っています。 映画プリティウーマンの中でコールガールだったジュリアロバーツにオペラを鑑賞させるシーンがあって、リチャードギアが「最初が全てだ。オペラは、初めて見た時に感動しなければそれで終わり。」、、多分その様な意味のセリフがあります。 そうですね、サッカーを知り、理解し、楽しむ事にとっては、最初に最高の形式、プレミアリーグ、チェルシー対マンU戦を見る必要があるかもしれません。同じ作家の作品も個展で鑑賞していれば記憶に残ったかもしれないのに、グループ展では存在にすら気づかないこともありそうです。 つづきます。