制約と制作

NHKのこの番組、「スーパープレゼンテーション、フィル・ハンセンPhil Hansen 10.7放送 」で、アートにおいての制作と制約について語られているのを知って、20数年前、大学時代に泉先生が学生に対して行った公開授業と、今年8月のサッカー代表戦、対ウルグアイとの試合を思い出す。番組の内容は、フィルハンセン自身が若い頃、点描の制作で手を酷使したために、手に震えが発症し、思い通りの絵が描けなくなる。その後、震えるままの手で再び制作を始め、手の震え、という制約を抱えたままでも可能な表現手段を模索するうち、制約が、新たな表現手法を生み出していく事に気付くという内容だ。彼は、マルチメディアアーティストとして紹介されている。そして、20年前の、泉先生の公開授業も、考えを同じくするものに違いなかった。4,5人に分かれた幾つかの学生グループに、雲形定規で引ける線と形だけを使って全紙大の絵を作れというもの。ここに掲載した写真の通り、泉先生はこの頃から亡くなられるまで、雲形定規を使って絵を制作されていた。要するに「俺と同じ事をしてみろ」と、いうのである。僕は副手だったので、参加はしていない。会場で見学していた。学生達は最初、恐る恐る、ひとつづつ、この日の為に作った大きな雲形定規で画面に線を引いて行く。そのうちに、雲形定規で出来る「だいたいのこと」を、把握すると、もっと面白くしようと「自由に」その日のルールを破った。学生達にすれば、より面白くしようというチャレンジだったかもしれないし、雲形定規という足枷の意味が分からなかったのかも知れない。その後の合評会で、先生はルールを無視して制作したチームを戒めた。

今年8月のキリンチャレンジカップ。戦う上で自らに制約を課し、そのことで自分たちの能力を最大化して、より多くのゴールを挙げて勝利したのは、ウルグアイ代表だ。それは、自在なものへの危険な憧れを克服している強さだった。自分達の、なすべき事を目指し続けて、その実現にこそ自由な発想で進んでいく。僕は、20年前より遥かに強くなった日本代表に期待しながらも、歴史の壁は、とてもとても厚いのだと、改めて思い知った。
この秋、日本代表チームは、苦戦中。でも、一皮むける時期なのかもしれないなぁ。
ん〜、今週でひとつ歳をとった私めも、一皮むけないかしら。

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