尼崎アートフェス搬入

尼崎の搬入前、カラッとした綺麗な夜。最近の作品についてブツブツと。

黒い絵を描き出したのは三年前。黒い絵が描きたかったわけではなかったけれど、気がついたら黒かった。奈義美術館の個展の制作中、作品は、「道程ー那岐山中図」。どちらかと言えば嫌っていたモノクロームの表現を、なぜ描いたのか、今も考え続けているけれど、きちんとは分からない。ただ、根拠不明の、色で綺麗にみせるだけの絵を描いてもあかんな、という気分に押された。それまでも、自分が、そういうつもりで描いてきたとは思わないけれど、その時は色を重ねる気にはならなかった。長い事作品を作ってきて、人様の前にも出しておきながら、今更そんな基本の検証か?と、思うと情けない気持ちにもなった。

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バブル真っ只中のころだから、僕は学生だったと思う。50億円とか60億円とかのお買い物として、ゴッホのひまわりが日本の誰かの持ち物になった。そのニュースを見ながら、僕は思っていた、「日本という国には美術の意味を理解する人はいない。そう世界中の人が、記憶するだろう。」と。

プレスリリースのコメントや、復興を支援する会で話したり書いたりしている通り、災害で沢山の人々が亡くなった事で、僕に「失色」の感情が湧いたのではない。辛いが人は死ぬ。今、検証を迫られるのは、この震災と事故が、「それは、本当の意味で生きる為の判断なのか」と、我々に問い続けてくるからだ。バブルからの30年、戦後70年、我々は何見て走った。僕の描いたものはホントに絵か?その青や黄色の絵具は何の為に持っている?自分を認めさせたいか?お金に換えたいか? むむむむ。。

今回の絵もまだ黒いのである。「無道有月(みちなしつきあり)」(部分)
今は、暗い絵ではあかんな、と思っている。黒い絵やけど、暗いのはあかん。それでもってそのうち、今日思ういろいろ引っ括めたまま、明るい絵を描きたいなと。

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